ふきのとう

2013年5月14日

5月6日に通ったときは雪が積もっていましたが1週間たって夏日になった今日はふきのとうが出ていました。(針ノ木雪渓のアプローチ)
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安曇野の水鏡

2013年5月8日

今朝も霜が降りた。今年はいつまでも寒気が居座って天気は良いが気温がなかなか上がらない。薄く氷が張った水に首までつかった稲が寒そうだ。

田植えの済んだ水面に映る常念岳

田植えの済んだ水面に映る常念岳

五竜岳

2013年4月22日

2泊3日の予定で、遠見尾根から五竜岳に登った。メンバーは5名。

3月19日
寒気が入るとの予報だったがそれほど寒くなく、上空には薄雲が広がり風が少し吹いている程度。他に登山者は無い。前夜の新雪が数センチ乗った雪は坪足でも歩きやすく、順調に小遠見に到着。中遠見の登りに掛かるところで、試しに持って来た雷探知器が雷雲をキャッチした。見上げると、上層には薄雲が広がり、その下で斜面を吹き上げる風が渦を巻いていた。最初は、注意レベルだったのが、すぐに警戒、時々危険レベルに。昨日までの暖気に、今日は寒気が入るとの予報で雷雲の発生は予想されること、2年前の5月連休に八方尾根で雷に遭った時と雲の様子が似ていること、遠見尾根を歩いていて、何の前触れもなく雷の直撃を受けた人の話を聞いたばかりだったこと・・・、などが頭の中で渦を巻いた結果、登高を中止し北側に10m程下がった樹林の中にテントを張った。このまま標識やスノーバーを背負って稜線を歩くのはリスクが高すぎる。探知器は鳴ったりやんだり。どうやら斜面を吹き上げるガスが近づくと鳴るようだ。
地蔵の頭10:00 - 小遠見11:36 - 中遠見のコル12:10

3月20日
起きると薄雲はあるものの稜線はくっきり見えて風もなく絶好の登山日和。これは拾いものだとアタック態勢で出発。北側に大きな雪庇が張り出した雪稜を順調に進み、心配していた白岳とのコルも雪がついて問題無く、白岳の登りも一部不安定なところもあったが無事通過し、半分埋まった五竜の小屋に到着。頂上までのルートを眺めると、最初夏道にそって斜面をトラバースし、急なルンゼから大きな雪壁で頂上まで。ルンゼから先はロープがあったほうが良さそう。午後から下り坂になるとの予報で、突っ込むと時間が足らなくなりそうだったので、心残りながらここで断念。雷探知器は注意レベルが鳴ったりやんだり。下山中もしばらく山は見えていたが、テントに着く頃には雪になり見えなくなった。もう一泊することも無いのでテントを撤収して下山した。
出発5:46 - 白岳下コル8:00 - 五竜小屋9:06
下山開始10:00 - テント12:20 - ゴンドラ駅14:06

寒気の流入と低気圧の通過という不安定な天候での登山で、安全登山としては100点満点。でも敗退は敗退。心残りだ。安全登山と満足感を両立させるのは難しい!!

地蔵の頭から登り始める

地蔵の頭から登り始める

好天! 頂上が見える!

好天! 頂上が見える!

鹿島槍北壁

鹿島槍北壁

頂上までのルート

頂上までのルート

白岳の斜面を下る

白岳の斜面を下る

西遠見の巨大な雪庇

西遠見の巨大な雪庇

爺ヶ岳東尾根

2013年1月7日

正月山行は、1月3日から去年に続いて爺ヶ岳東尾根に入った。2泊3日で爺ヶ岳を往復して来る予定だったが、腰くらいまでのラッセルに時間を取られ、去年到達した2,400mの白沢天狗尾根とのジャンクションまでも届かず、2,130m地点で帰ってきた。昨年の反省から幕営地点を少しあげたのだがそれだけでは足らなかった。計画自体に、登頂を目的としながらだめならそれでいいやというニュアンスがあって、登頂に向けた意気込みが不足していたように思う。しかしそれは今の会の雰囲気を反映してのことである。2年続けての東尾根敗退を機に、冬山を経験してみる段階からもう一歩脱皮して、登頂を目指す段階に進めていきたいものである。人のことはさておき自分のことでは、ラッセルは若者にそれほど負けないくらい出来たと思うが、ラッセルのあと激しく両足がけいれんしてしまった。暖かい梅昆布茶をもらって飲んだらたちまち回復したから原因は脱水と塩分不足である。不注意としか言いようがない。それと夜は冷え込んでマイナス20度になったとはいえ寒くてよく寝られなかった。マットを新調したうえに沢山着込んで寝たのだが・・。寒さに弱くなったということだろう。

1,700m付近のラッセル

1,700m付近のラッセル

下山の日、ご来光が見えました

下山の日、ご来光が見えました

岳遊舎の忘年会

2012年12月16日

15日と16日、岳遊舎の講習に参加してくれた人たちが集まって、山岳センターに泊まって忘年会をやった。忘年会といっても初日の昼間は人工岩場でクライミングの練習をやった後、山岳センターのボルダリング壁を登って、それからゆーぷる木崎湖でお風呂に入って宴会。2日目は飲み過ぎて重い頭にヘルメットをかぶり仏崎の岩場でアイゼンでの岩登りや懸垂下降の練習というハードな内容だ。岳遊舎の講習会ではロープを使わなかったが、もともと向上心のかたまりのような人たちで、7月の焼き肉会や西穂から降りて来た後のクライミング練習、山岳センターのクライミング系の講習に参加したりして1年ですっかりクライミングにはまってしまった格好だ。最初はハーネスのはき方もわからないレベルだったのに今では、人工岩場とはいえリードで登れる程になった。岩登りは上手な人に連れて行ってもらうなら簡単だが、自分でいこうとするとロープを使って安全を確保するシステムが身についてないといけない。ロープをつないでくれる相手も必要だ。この2つが岩登りの敷居を高くしている要因だ。今回の忘年会に集まった人たちはどうやら2つの敷居を越えつつあるように思える。この分では来年はいよいよバリエーションデビューを考えないといけないようだ。

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ジャンダルム! 届かなかった

2012年9月19日

敬老の日の3連休は、西穂~奥穂の縦走を計画した。岳遊舎に来てくれたKさんの夢はジャンダルムの頂きに立つこと。それじゃみんなで一緒に行こうかと声をかけたら5人の人が手を挙げた。それに山岳会でも会社でも私の先輩のIさんも加えて7人で行くことになった。

今年は、いつまでも太平洋高気圧が頑張っている。そこに超大型の台風16号が南から接近し、秋雨前線をはるか北海道辺りまで押し上げた。この状態は北アルプスは晴れ。太平洋高気圧が2日間頑張って北上する台風と日本海北部の秋雨前線をブロックすることを期待して入山した。

16日は太平洋高気圧が期待に応えて夏の天気。観光客で賑わうしらかば平からロープウエイで西穂高口、そこから1時間ほど歩いて西穂山荘に入った。西穂山荘は満員の盛況だ。夕方には雲が広がったが基本的に晴れ。明日の縦走成功を念じて床についたが夜半から風が出た。4時起床、風は強いが雲は無く天頂にオリオンが瞬いていた。弁当を食べて5:10、出発する頃には上空にガスが掛かって星は見えなくなった。台風が南から運んできた風なので暖かい。1時間で独標、ここでヘルメットを付ける。標高が上がってガスの中に入った。風は多少強くなったか。更に1時間でピラミッドピークを越えて石の累々と重なる西穂高岳頂上。標高は2909m。雨が降る気配は無かったがガスは濃くなって足下の石はぬれていた。メンバーの体調も技量も問題無い。時間もある。しかし石がぬれていて滑りやすいこと、ルートの最高点は奥穂高岳の3190mでさらに300m近く上がると台風の接近と相まって更に強くなると予想されること、そしてそのタイミングで不安定な稜線を歩かなければならないこと、またこの先のエスケープルートは天狗のコルしかないことなどを考え合わせると、安全側に倒れて、続行を希望した人には申し訳なかったがここで断念することを決めた。

降りてくると西穂山荘あたりでも風が強まっていた。しかしガスは晴れてきて時折独標あたりのピークが顔を出す。微妙な判断だった。遠くからジャンダルムに登ることを夢見て参加したKさんには申し訳ない。宿題が残ってしまいました。

 

出発前のしらかば平

独標 ここでヘルメットをつける

西穂高岳 風とガス

しらかば平に降りて来て見上げる西穂高岳

岳遊舎 岩登りの練習

2012年7月9日

岳遊舎の講習は、5月に終了したが、このまま終わってしまうのは残念だから何か企画して、との声に応えて焼き肉会と岩登りの練習を企画した。

一年前の基礎講座と同じ美ヶ原の麓、三城のキャンプ場で焼き肉会。梅雨のさなかだから雨は覚悟のうえだったが、土砂降りの雨の中、タープの下で全く動じることなく肉をほおばる姿を見て、このメンバーは1年で普通の人で無くなったとある種の感動を覚えた。

次の日、ガスがかかり小雨が降る中、寝不足の目をこすりながら起床。今日は大文字岩に登って岩登りの練習をする予定だが、この天気ではコンディションがよくない。少し遠いが大町まで行って人工壁で練習することにした。大町に着く頃には山の上はガスがかかっているが上空には青空が出てきた。転進は正解。

練習のテーマは、マルチピッチの岩登りのロープ操作と、懸垂下降。これが出来るとバリエーションルートへの道が開ける。今日の参加者は山岳センターの講習にも何度か来たこともあるのでハーネスを付けたりロープを付けたりすることは問題無く出来る。早速ロープを付けて登り始める。3点支持での登り、セカンドがトップを確保する方法、トップがセカンドを確保する方法、ランニングビレイの取り方、懸垂下降のロープセット方法、下降のやり方・・・。一日終わる頃にはみんな一通りできるようになった。さらにおまけのあぶみを使った人工登攀も2人の人が挑戦してトップロープながら登り切った。みなさんお見事。

次は9月に西穂から奥穂の縦走を決めて終了。あこがれのジャンダルムですよ。

・・・・・また悪いことを教えてしまった!!

三城、県民の森キャンプ場はみどりがきれい大町の人口岩場でマルチピッチのロープ操作と懸垂下降の練習ロープ操作はとっつきにくいが、システムを理解して反復練習が大切登りは三点支持が基本。怖がらず体を岩から離すとスムースに動ける懸垂下降が出来ると行動範囲がぐっと拡がる。支点を信頼し思い切って体重を預けると安定するあぶみでの人工登攀は、フリークライミング全盛の今は使われなくなったが・・

涸沢談話会

2012年7月9日

涸沢に行った。「涸沢談話会」というのがあって、山の話が聞けるというので参加した。

最初の話題は、「涸沢カールと氷河 地球の歴史」。涸沢のカールができたのは、2万年前。氷河は岩石を含んで斜面を流れ、末端に運んできた岩石を堆積させる。これをモレーンという。涸沢ヒュッテは、丸山というカールの底の小高い丘の上に建っているが、ここは涸沢の氷河が作ったモレーンだという。7万年前にも氷河期があって、その時は、槍沢も涸沢も氷河に覆われていて、末端は横尾の岩小屋あたりまで伸びていた。

もう一つの話題は、「日本アルプスの山小屋建築に関する調査報告」。厳しい日本の山岳環境に建つ山小屋はそれぞれの立地条件に適応するべく様々な工夫を凝らしている。また出来たときから辿ってきた歴史を内蔵している。涸沢ヒュッテは、昭和26年に出来た新しい小屋だが、カールの底にあるから宿命的に雪崩との闘いを強いられてきた。20mにも達する積雪の重さに耐えるよう、11月に小屋を閉める時、室内に補強の柱を立て、周囲には囲いを巡らす。そのための木材の料は小屋そのものより多い。その木材は、営業期間は屋根の上のテラスに変身する。

涸沢に来たのは、8年ぶりくらいだ。上高地は夏の装いになりつつあるが、涸沢はまだ冬が残っている。それでも本谷橋から上の登山道には、花が咲き始めていた。

信州大学山岳科学総合研究所友の会の企画。いつも日程が合わなかったが、参加出来てよかった。研究所所長の鈴木啓助先生の、「山の魅力を多くの人に知ってもらえたら、山をもっと大切にするようになる」という言葉がとても印象に残った。

横尾集合。参加者は45名本谷橋から登りが始まる。雪が解けると花が咲き始める。サンカヨウ

モレーンの上に建つ涸沢ヒュッテ。稜線はガスの中。このあと雨が降り始めた。

次の朝は稜線が見えた。カールの底に建つ建物を石垣で護る

雨の中を下山。キヌガサソウベニバナイチヤクソウ

朋有り遠方より来たる

2012年6月28日

岡山からA君が来た。A君は小学校5年の時同じクラスだった。昨年6月、もう一人の小学校からの友達、F君が偶然にA君の消息を知ることとなりはるか昔の3人の関係が復活したのだ。昨年の9月、A君は細君とともに遊びに来た。ちょうどNHKの“おひさま”が放送されて安曇野はブームになっていた時だ。しかしその時は雨が降って山は見えず、わさび畑も松本城も傘をさしてびしょ濡れで歩いただけだった。

5月には、F君夫妻が遊びに来た。この時は良い天気で、青空に白い山がそびえる安曇野の春の風景に二人は夢中になった。岡山県に住む彼らは見たことのない風景だったのだ。扇沢からアルペンルートで室堂に上がり、10mを越える雪の回廊を見た彼らの興奮は絶頂に達した。F君は帰ってA君にその話をした。「君の行った時は雨が降ったが、ぼくの時は晴れて、白い山がみえて・・・。」これを聞いて収まらないA君は今度は一人でやってきたというのがことの次第である。

心配していた天気は、幸い梅雨の中休みにあたって、2日間ともよかった。バスでやってきたA君を松本駅でピックアップして、そのまま扇沢へ。どうしても黒部ダムをみたいと。土木関係の設計を生業としている彼はその理由を述べたがF君への対抗心は明らかだ。上がってゆくガスの合間に見える残雪の山に夢中になる様子も同じ。アルペンルートはそれほどの混雑もなく室堂に到着。1ヶ月前に比べると雪はすっかり解けて、雪の回廊は3mほどになっていた。その替わりみくりが池の回りを歩くことができて、そこでなんとライチョウのつがいに出会った。遊歩道のすぐ脇に、すっかり夏の色になったライチョウのつがいがえさをついばんでいた。もう一羽、みくりが池温泉の石垣の上でオスが縄張りを見張っていた。この時期はつがいになって縄張りを作る時期だ。扇沢にもどり、次は白馬のジャンプ台に上った。テレビでは見たことがあるが、来たのは私も初めて。あんなところから飛び出す人の勇気には脱帽だ。もとはといえば、罪人の罰だったという話を聞いたことがある。

その夜は、白馬で知り合いのMさんのホテルに泊めてもらった。アットホームなすてきな宿で屋上の露天風呂から八方尾根を眺め、おいしい料理をいただき、その日から始まったという蛍祭りに連れて行ってもらい、次の日は五竜スキー場の高山植物園で大展望と咲き始めた高山植物を堪能して、A君は帰っていった。

帰ったら、F君に早速報告するという。写真を見せながら口角泡を飛ばして自慢する姿が目に浮かぶようだ。他愛のないことを自慢し合った小学生の時とまったく変わっていない。50年近く経って昔の関係が復活したことは喜ばしいことだが、次は別々でなく2人一緒に来て欲しいと心から思う。

「槍ヶ岳山荘グループ創業95周年を祝う会」

2012年6月17日

昨日、「槍ヶ岳山荘グループ創業95周年を祝う会」に行った。山岳センターは、長野県山岳協会と、穂苅さんが代表をつとめるNPO法人”やまたみ”が共同で運営している関係で招待状をもらった。松本駅前のホテル”ブエナビスタ”で行われ、映画を2本見たあとに祝宴。山小屋のオーナーの人たち、ガイドの人たち、山岳写真家の人たち、雑誌社の人たち、かって小屋に勤めていた人たち、行政関係の人たちなど200名ほどが参加した。私の席は山岳センターということで、行政関係のテーブルにあった。環境省、自然公園財団、森林管理局、松本市、安曇野市、隣は信州大学の先生。山岳センターの運営懇談会会長をお願いしている、ジャーナリストの菊地俊朗さんが挨拶で穂苅社長から依頼されて書いた「槍ヶ岳とともに」の話をされた。ちょうど菊地さんが書いた「北アルプスこの百年」を読んでいる最中だったので興味深く聞いた。

なるほどこんなに多くの人たちが山小屋を支えているのか、と改めて感じた。