16日間の旅はあっという間に終わった。この旅で、私は多くのネパールに関わる日本人を見たり聞いたりした。初めて泊まったサンセットビューホテルは日本人のボランティア団体やツアー旅行がよく使っているらしい。JAITI:公益財団法人日本農業研修場協力団、JNFEA:認定NPO法人日本ネパール女性教育協会のニュースレターがホテルロビーにおいてあったし、泊まっていたJAITIの人と話しもした。今回の旅で行動を共にしてくれたKさんは、専門の水と土の分析技術を役に立てたいとJICAに応募した。JICA関係者は数十人がネパールに滞在しているという。ヒマラヤの白い峰が人の心を引きつけるのはわかりやすいが、カトマンズの騒音とほこりと排気ガスは噴飯物だ。あらゆることが整然と行われることに慣れた日本人から見ると、すべてがでたらめだ。それでもいちどネパールに来た人はリピーターになる人が多いという文章をネパール在住の日本人が書いていたのを最近読んだ。多くの人がこの国に関わっているという事実は私にとって結構新鮮だった。私も今回が5回目だからリピーターの一人かもしれない。でもこの国の何が自分を引きつけるのかはっきりとは意識できてない。それを見つけるためにも今年の秋もなんとかもう一度ネパールを訪れる努力をしてみたいと思っている。
‘山旅日記’ カテゴリーのアーカイブ
ネパール植林支援とトレッキング さいご
2014年1月14日 火曜日ネパール植林支援とトレッキング その②
2014年1月14日 火曜日トレッキング
ベトラワティでトリスリから来たバスに乗っていざ出発。ロクさんがとってくれた指定席は一番前。バスの中は荷物と人で一杯だ。道ばたで手を挙げるとどこでも止まって乗せてくれる。車内が一杯になると屋根の上。10:30になるとバスは止まって運転手も客もバッティ(茶店)に入ってご飯タイム。我々も降りてお茶とモモ(餃子)で腹ごしらえ。尾根をじぐざぐに上る道は舗装されていて一番前の席は見晴らしもよく最高と、思ったらトラバースに入った先に信じられないくらいのすさまじい崩壊の痕が見えた。雨期に沢が氾濫して崩れたらしく道も畑もばっさりと無くなったところに仮設の道が作ってある。路肩はいまにも崩れそう。運転手の目が真剣だ。何カ所かの崩壊箇所を通過して舗装した道に出た時は真剣にうれしかった。ドゥンチェの街は20年ぶり。1993年にガンチェンポ遠征の時は、ここからキャラバンを始めた。ガイドのオングチューと合流。ホテルはWiFiが使えるが期待したお湯は出ない。体を拭いて着替えるだけ。
トレッキング1日目。不要な荷物をホテルに預けて出発。今日の目的地シングンバ(3,300m)までの標高差は1,350m。ランタン谷に入る自動車道路を右にわけて、トリスリ・コーラの谷に入っていく。谷を1時間ほど入ったところから右岸を急登。3時間で2,625mのデウラリ。ここで昼食。さらに尾根の急登がもうしばらく続く。ガスがかかって周りの景色はあまり見えない。2時間ほどでシングンバに到着。ロッジが5,6軒とチーズ工場があるがシーズン外れて閑散としている。チーズ工場を見せてもらい、500g切ってもらってRs.510。ロッジに帰ってチーズをつまみにククリラムを一杯。ここもお湯は出ないが、オングチューは上半身裸になって頭を洗っていた。
トレッキング2日目。朝の気温は-2度。コンロでお湯を沸かしてコーヒーを飲んだあと、食堂でトーストとゆで卵の朝食を食べて出発。今日はガスが無くて山がよく見える。風は冷たい。シラビソの巨木の森が標高3,800mくらいまで続いて森林限界となる。昼前にラウレビナ(3,900m)到着。昼食は普通に頼むと量が多いので、ダルバートとモモを頼んでIさんとシェア。順応をかねて4,030mくらいまで登ってみるとガネッシュ山群がよく見える。その右手にはチベットの山々、さらに右にはランタン・リルンからランタン谷左岸のナヤカンガ(5,857m)が続いている。あの程度なら3週間ほどで行けないか。。ガンチェンポは見えない。
トレッキング3日目。夜中にIさんの脈が上がったのでダイアモックスを飲んだが、朝になったら回復したので予定通りゴサインクンドに向けて出発。4,000mを越えると少し苦しくなってゆっくりと登る。オングチューとKさんは快調だ。10時にゴサインクンド到着。ここはヒンズー教と仏教の聖地。青い水に太陽の光が輝いてまるで極楽のようだ。息を整えたあと湖の周りを一周、昼食を食べて下り始めた。ラウレビナで預けた荷物をもらってそのままシングンバまで下山。高所にいる時間は短いほど良い。高度が下がるとてきめんに体が楽になる。
トレッキング4日目。シングンバ7:40出発、ドゥンチェ11:10到着。ここからはチャーターしたパジェロでカトマンズまで。パジェロとガイドのお金を払ったら手持ちの現金がほとんど無くなってしまった。カトマンズに着いたらもう夜。私とIさんはホテルで下車、そのあとKさんはアパートのあるドゥリケルまでもう1時間。お疲れ様。トレッキングは終わった。その夜はお湯のシャワーを浴びてビールで乾杯。
ネパール植林支援とトレッキング その①
2014年1月14日 火曜日去年の12月6日から21日まで、ネパールに行って2度目の植林支援と20年ぶりのトレッキングをしてきた。
植林の支援
前回の2012年の3月来た時より更に激しくなっているようなカトマンズの喧噪を離れ、ランタン谷の入口トリスリに向かう峠道に来るとやっとまた来たのだという実感が湧いてくる。前回は一人で心細かったが、今回はJICAボランティアのKさんと40年来の山仲間Iさんが一緒で安心する。とくにKさんのネパール語は始めて8ヶ月とは思えないほどスムーズで心強い。カカニの丘でガネッシュ山群とタレントが登って話題になったマナスル山群が見えた。山を見るならポストモンスーンだと納得する。
カカニから下ると季節がもどってゆきトリスリ川の河畔には豊かな農地が拡がる。トリスリから川を渡ってしばらく行くとロクさんの新しい家。4F建ての立派な建物だ。周囲は植林をして20年も経つ森が拡がっていた。
植林2日目。ネパール式ウオッシュレットシステムに前回は悲壮な決意で臨んだが、今回はスムースにできた。歩いてカウレ村に向かう。植林リーダーのロクさん(59)と、スタッフのナムラジュ(25)、ディペンドラ(20)が一緒だ。標高差は1,000m程。建設中だったグンバ(お寺)は完成し祭壇が作ってあり仏像も3体制作中だった。春には開眼法要をやるという。午後は女性グループ5,6人と水やり。陽が入ると寒くなる。寝るのはグンバの1Fで、コンクリートの上に敷物があって、そこに登山用マットと寝袋で寝る。電灯もあって快適だ。
植林3日目。朝起きて近くの小学校まで散歩。7時から始まるクラスがあるらしく校庭の横の寄宿舎から制服を着た女の子が何人も出てきた。ネパール人は朝ご飯を食べない。日本人の我々はお茶とビスケットを食べて8時に午前中の水やりに出発。11時頃に帰ってきてダルバートの昼食、午後は1時から4時まで水やり。持って来たウイスキーが無くなったので夕方、上のバザールに買いに行った。急な石段を登ること15分。数十軒の家が並ぶかなりの集落だ。でもロキシーを売ってない。やっと捜した店でビールを2本買ったらRs.320。ナムラジュが友達の家に寄ってロキシーを手に入れてきてくれた。
植林4日目。カウレ村からマネガオンに下ってミンクマリおばあさんの家で昼食。ミンクマリさんはマネガオンの植林リーダーだったご主人が数年前になくなったが、植林スタッフの基地として家を提供してくれている。ここでの水やりは水量が少ない上に遠くまで水を運ぶので効率が悪い。おまけに村の人の手伝いはない。家に帰って、今夜はナムラジュとディペンドラが食事を作ってくれる。ククラ(ニワトリ)を1羽しめて肉入りのダルバートとミンクマリおばあさんの作ったロキシーで豪華な食事だった。
植林5日目。幸い腹の調子は3人とも大丈夫だが移動と水やりで疲れてくる。この日は麓のベトラワティまで下って、そこからバスでトレッキング出発点のドゥンチェに行って泊まり。1時間ほどでベトラワティの街。先に降りていたロクさんと合流。
昨夜、ナムラジュとディペンドラとKさんの通訳で遅くまで話をした。同年代の仲間は村を出てカトマンズや中東の国に出稼ぎに行ったりして自分たちの他に残っているのは”壊れた人”だけだという。そういえばマネガオンの水やりの帰り道、数人の若者が道の真ん中でガンジャ(大麻)を吸っているのを見かけた。自分たちもチャンスがあれば出稼ぎに行くかも知れないと。安倍先生が20年以上も援助を続けている植林活動は、いずれ村の人々が自力で継続することを期待してのことだが、大きな課題があると感じた。戦後の日本は、一次産業から二次産業に資源をシフトすることで物質的に豊かな社会を作ったが一方で家族や村落が形成していた共同社会を壊してしまった。同じ事がネパールで起きているように思える。リーダーのロクさんはともかく、植林の継続を2人の若者だけに託すのは酷なことかもしれない。
正月合宿は常念岳
2014年1月6日 月曜日会の正月合宿が復活して3年目。過去2回は爺ヶ岳東尾根に挑戦して2回ともラッセルに苦しめられて頂上に行けなかったので今年は頂上に行きたいと雪の少ない常念岳を選んだ。年が明けた1月3日に須砂度から入り、大平原から南東尾根の末端に取り付き2,200m付近で幕営、4日に前常念を経て頂上アタックし、5日に下山。休みが5日までという人が多いので3日間で必ず下山するという日程優先の計画。
1月3日
須砂度のゲートから林道を約5km歩いた大平原が東南尾根の取り付きだ。少し回り込んで傾斜の緩いところから登り始めるが、藪の中のつぼ足のラッセルに苦しめられた。それでも2時間で尾根の背中まで登ったところで右手にトレースを発見。ここでワカンをつけて更に登る。途中で単独登山者がいた。トレースの主で少し先まで登ったがあきらめてこれから下山するという。やがてトレースが無くなり膝くらいのラッセルでなかなか進まない。三俣からの夏道と合流した少し先でこの日の行動を終了。行動10時間のうち7時間がラッセル。さすがに疲れた。
6:00:須砂度、9:10:尾根に取り付き、10:15:尾根の背中、16:00:2,180m付近で幕営
1月4日
宵の口で吹いていた風が収まり静かな朝になった。6時出発。1時間ほどで森林限界。稜線にガスが掛かっているが東は薄く富士山まで見えた。ワカンをアイゼンに替えて岩の露出した急斜面を登る。今回のルートで一番テクニカルな部分だが皆快調に登って2時間で前常念。避難小屋は屋根が出ていた。ここで休みの関係で一人下山。この先は緩い傾斜の細い尾根が主稜線まで続き、そこから少し登ると頂上だ。今日は風が弱く時折陽も差して冬とは思えないくらい穏やかで稜線漫歩の気分。といっても転べば両側とも切れているので油断は禁物。頂上直下の斜面もアイゼンが快適に利いてあっけなく頂上。残念ながら穂高方面はガスがかかって見えなかった。ここで長塀尾根から蝶ゲ岳を越えてきたという若い男性の単独行と遭遇。大胆な行動にびっくりだ。
6:00:出発、9:00:前常念、10:30:頂上、13:00:テント帰着
1月5日
今日も快晴。木々の向こうに赤く染まった前常念がきれい。下山は早い。登って来たトレースを辿り林道から入口のゲート、すぐそばのホリデーゆで風呂に一直線。満足。。。
7:00:出発、10:00:林道、11:40:ゲート
今回は天気が安定していて冬山とは思えないくらいだった。60歳以上のロートル3名、この2年くらいで入った若手4名の力がつながって登頂になった。登頂できて本当によかった。これで次につながる。
西穂~奥穂 縦走
2013年9月30日 月曜日五竜岳
2013年4月22日 月曜日2泊3日の予定で、遠見尾根から五竜岳に登った。メンバーは5名。
3月19日
寒気が入るとの予報だったがそれほど寒くなく、上空には薄雲が広がり風が少し吹いている程度。他に登山者は無い。前夜の新雪が数センチ乗った雪は坪足でも歩きやすく、順調に小遠見に到着。中遠見の登りに掛かるところで、試しに持って来た雷探知器が雷雲をキャッチした。見上げると、上層には薄雲が広がり、その下で斜面を吹き上げる風が渦を巻いていた。最初は、注意レベルだったのが、すぐに警戒、時々危険レベルに。昨日までの暖気に、今日は寒気が入るとの予報で雷雲の発生は予想されること、2年前の5月連休に八方尾根で雷に遭った時と雲の様子が似ていること、遠見尾根を歩いていて、何の前触れもなく雷の直撃を受けた人の話を聞いたばかりだったこと・・・、などが頭の中で渦を巻いた結果、登高を中止し北側に10m程下がった樹林の中にテントを張った。このまま標識やスノーバーを背負って稜線を歩くのはリスクが高すぎる。探知器は鳴ったりやんだり。どうやら斜面を吹き上げるガスが近づくと鳴るようだ。
地蔵の頭10:00 - 小遠見11:36 - 中遠見のコル12:10
3月20日
起きると薄雲はあるものの稜線はくっきり見えて風もなく絶好の登山日和。これは拾いものだとアタック態勢で出発。北側に大きな雪庇が張り出した雪稜を順調に進み、心配していた白岳とのコルも雪がついて問題無く、白岳の登りも一部不安定なところもあったが無事通過し、半分埋まった五竜の小屋に到着。頂上までのルートを眺めると、最初夏道にそって斜面をトラバースし、急なルンゼから大きな雪壁で頂上まで。ルンゼから先はロープがあったほうが良さそう。午後から下り坂になるとの予報で、突っ込むと時間が足らなくなりそうだったので、心残りながらここで断念。雷探知器は注意レベルが鳴ったりやんだり。下山中もしばらく山は見えていたが、テントに着く頃には雪になり見えなくなった。もう一泊することも無いのでテントを撤収して下山した。
出発5:46 - 白岳下コル8:00 - 五竜小屋9:06
下山開始10:00 - テント12:20 - ゴンドラ駅14:06
寒気の流入と低気圧の通過という不安定な天候での登山で、安全登山としては100点満点。でも敗退は敗退。心残りだ。安全登山と満足感を両立させるのは難しい!!
爺ヶ岳東尾根
2013年1月7日 月曜日正月山行は、1月3日から去年に続いて爺ヶ岳東尾根に入った。2泊3日で爺ヶ岳を往復して来る予定だったが、腰くらいまでのラッセルに時間を取られ、去年到達した2,400mの白沢天狗尾根とのジャンクションまでも届かず、2,130m地点で帰ってきた。昨年の反省から幕営地点を少しあげたのだがそれだけでは足らなかった。計画自体に、登頂を目的としながらだめならそれでいいやというニュアンスがあって、登頂に向けた意気込みが不足していたように思う。しかしそれは今の会の雰囲気を反映してのことである。2年続けての東尾根敗退を機に、冬山を経験してみる段階からもう一歩脱皮して、登頂を目指す段階に進めていきたいものである。人のことはさておき自分のことでは、ラッセルは若者にそれほど負けないくらい出来たと思うが、ラッセルのあと激しく両足がけいれんしてしまった。暖かい梅昆布茶をもらって飲んだらたちまち回復したから原因は脱水と塩分不足である。不注意としか言いようがない。それと夜は冷え込んでマイナス20度になったとはいえ寒くてよく寝られなかった。マットを新調したうえに沢山着込んで寝たのだが・・。寒さに弱くなったということだろう。
岳遊舎の忘年会
2012年12月16日 日曜日15日と16日、岳遊舎の講習に参加してくれた人たちが集まって、山岳センターに泊まって忘年会をやった。忘年会といっても初日の昼間は人工岩場でクライミングの練習をやった後、山岳センターのボルダリング壁を登って、それからゆーぷる木崎湖でお風呂に入って宴会。2日目は飲み過ぎて重い頭にヘルメットをかぶり仏崎の岩場でアイゼンでの岩登りや懸垂下降の練習というハードな内容だ。岳遊舎の講習会ではロープを使わなかったが、もともと向上心のかたまりのような人たちで、7月の焼き肉会や西穂から降りて来た後のクライミング練習、山岳センターのクライミング系の講習に参加したりして1年ですっかりクライミングにはまってしまった格好だ。最初はハーネスのはき方もわからないレベルだったのに今では、人工岩場とはいえリードで登れる程になった。岩登りは上手な人に連れて行ってもらうなら簡単だが、自分でいこうとするとロープを使って安全を確保するシステムが身についてないといけない。ロープをつないでくれる相手も必要だ。この2つが岩登りの敷居を高くしている要因だ。今回の忘年会に集まった人たちはどうやら2つの敷居を越えつつあるように思える。この分では来年はいよいよバリエーションデビューを考えないといけないようだ。
ジャンダルム! 届かなかった
2012年9月19日 水曜日敬老の日の3連休は、西穂~奥穂の縦走を計画した。岳遊舎に来てくれたKさんの夢はジャンダルムの頂きに立つこと。それじゃみんなで一緒に行こうかと声をかけたら5人の人が手を挙げた。それに山岳会でも会社でも私の先輩のIさんも加えて7人で行くことになった。
今年は、いつまでも太平洋高気圧が頑張っている。そこに超大型の台風16号が南から接近し、秋雨前線をはるか北海道辺りまで押し上げた。この状態は北アルプスは晴れ。太平洋高気圧が2日間頑張って北上する台風と日本海北部の秋雨前線をブロックすることを期待して入山した。
16日は太平洋高気圧が期待に応えて夏の天気。観光客で賑わうしらかば平からロープウエイで西穂高口、そこから1時間ほど歩いて西穂山荘に入った。西穂山荘は満員の盛況だ。夕方には雲が広がったが基本的に晴れ。明日の縦走成功を念じて床についたが夜半から風が出た。4時起床、風は強いが雲は無く天頂にオリオンが瞬いていた。弁当を食べて5:10、出発する頃には上空にガスが掛かって星は見えなくなった。台風が南から運んできた風なので暖かい。1時間で独標、ここでヘルメットを付ける。標高が上がってガスの中に入った。風は多少強くなったか。更に1時間でピラミッドピークを越えて石の累々と重なる西穂高岳頂上。標高は2,909m。雨が降る気配は無かったがガスは濃くなって足下の石はぬれていた。メンバーの体調も技量も問題無い。時間もある。しかし石がぬれていて滑りやすいこと、ルートの最高点は奥穂高岳の3,190mでさらに300m近く上がると台風の接近と相まって更に強くなると予想されること、そしてそのタイミングで不安定な稜線を歩かなければならないこと、またこの先のエスケープルートは天狗のコルしかないことなどを考え合わせると、安全側に倒れて、続行を希望した人には申し訳なかったがここで断念することを決めた。
降りてくると西穂山荘あたりでも風が強まっていた。しかしガスは晴れてきて時折独標あたりのピークが顔を出す。微妙な判断だった。遠くからジャンダルムに登ることを夢見て参加したKさんには申し訳ない。宿題が残ってしまいました。
出発前のしらかば平
独標 ここでヘルメットをつける
西穂高岳 風とガス
しらかば平に降りて来て見上げる西穂高岳
岳遊舎 岩登りの練習
2012年7月9日 月曜日岳遊舎の講習は、5月に終了したが、このまま終わってしまうのは残念だから何か企画して、との声に応えて焼き肉会と岩登りの練習を企画した。
一年前の基礎講座と同じ美ヶ原の麓、三城のキャンプ場で焼き肉会。梅雨のさなかだから雨は覚悟のうえだったが、土砂降りの雨の中、タープの下で全く動じることなく肉をほおばる姿を見て、このメンバーは1年で普通の人で無くなったとある種の感動を覚えた。
次の日、ガスがかかり小雨が降る中、寝不足の目をこすりながら起床。今日は大文字岩に登って岩登りの練習をする予定だが、この天気ではコンディションがよくない。少し遠いが大町まで行って人工壁で練習することにした。大町に着く頃には山の上はガスがかかっているが上空には青空が出てきた。転進は正解。
練習のテーマは、マルチピッチの岩登りのロープ操作と、懸垂下降。これが出来るとバリエーションルートへの道が開ける。今日の参加者は山岳センターの講習にも何度か来たこともあるのでハーネスを付けたりロープを付けたりすることは問題無く出来る。早速ロープを付けて登り始める。3点支持での登り、セカンドがトップを確保する方法、トップがセカンドを確保する方法、ランニングビレイの取り方、懸垂下降のロープセット方法、下降のやり方・・・。一日終わる頃にはみんな一通りできるようになった。さらにおまけのあぶみを使った人工登攀も2人の人が挑戦してトップロープながら登り切った。みなさんお見事。
次は9月に西穂から奥穂の縦走を決めて終了。あこがれのジャンダルムですよ。
・・・・・また悪いことを教えてしまった!!
三城、県民の森キャンプ場はみどりがきれい大町の人口岩場でマルチピッチのロープ操作と懸垂下降の練習
ロープ操作はとっつきにくいが、システムを理解して反復練習が大切
登りは三点支持が基本。怖がらず体を岩から離すとスムースに動ける
懸垂下降が出来ると行動範囲がぐっと拡がる。支点を信頼し思い切って体重を預けると安定する
あぶみでの人工登攀は、フリークライミング全盛の今は使われなくなったが・・