カトマンズからトリスリ
2月29日。夜中になんどか目が覚めた。まだ時差になじんでない。ネパール時間の6時まで待って起きた。今日やることは、4月にくる田村顧問から頼まれた、ランタン谷の地図を買うこと、安倍先生から預かって来たお金の両替、それにトリスリに持って行く自分の荷物のパッキング、だけ。まず荷物を振り分けて、それから「ちくさ」という日本人がよく使うレストランで朝食、帰りに地図を買った。2種類で5枚買うと言って2/3に値切った。ホテルに戻って今度は安倍先生お奨めの両替屋で日本円からネパールルピーに両替。あとは時間つぶしに街をぶらぶら。フジホテルはタメル地区という観光客相手の土産物屋などの集まった地区にある。タメルから南に歩くと細い路地が網の目のようにつながっていて、両脇には様々な店が品物を並べている。何でもある。本当になんでもある。リクシャと呼ばれる自転車でひく乗り物や、バイクがけたたましく警笛を鳴らしながら通り抜ける中を人が歩く。傾いた電柱に電線が絡み合ってぶら下がっている。およそ日本人がなじんできた秩序とか整然とした様とはかけ離れた世界だ。しばらく歩いているとめまいがしてきた。
3月1日。今日はトリスリに行く日。6時に起床。残していく荷物をフロントに預けて、ネパールティーを飲んでいると迎えの車が到着。トヨタのランクルだ。運転手だけと思っていたら日本語のわかるスタッフのナビンさんともう一人。ネパールではよくあること。チャーターしたつもりなのに知らない人が乗っている。タメルからリングロードに出て、トリスリに向かう道に入る。地図には高速道路と書いてあるが、道幅の半分くらいが舗装されているだけのがたがた道だ。大型トラックとすれ違う時はお互いに慎重になる。有名なカカニの丘から少し先のランパウワというところで一休み。ランタン谷の7,000m級の山が霞の上に浮かび上がっている。聞くとランタン・リルンだという。ジャガイモをカレーで煮たタルカリとゆで卵、ドーナツのようなパンを食べて30ルピー(日本円で約30円)。ここからトリスリまではひたすら下り。森は結構深くて沢には乾期の今でも水が流れている。水があるから作物は豊かだ。菜の花、麦、じゃがいも。トリスリに下るともっと沢山の野菜や果物があふれていた。カリフラワー、にんにく、たまねぎ、大根、にんじん、しょうが、ミニトマト。果物はバナナ、パパイヤ、みかん。トリスリで植林センターの統括、ロクさんが待っていた。日本語で大久保興業と書いた作業服を着ている。タカリー族のレストランで食事をして、今度はロクさんも同乗して植林センターのあるツプチェ村まで。幹線道路を外れて更に悪路。ここはトヨタのランクルが威力を発揮。30分でツプチェ村の入り口に到着。今度は森林センターの5人のスタッフが出迎えてくれた。今日は森林センターに泊まると思っていたら、ロクさんの家に泊めてもらえるらしい。自分でザックを担ごうとしたら、スタッフのラメシュさんが飛んできて背負ってくれた。畑のあぜ道のようなところを登っていくと、少し広くなったところに女性が数名いる。なんと私を出迎えているらしい。行くと首に花の首飾りを3つもかけてくれて、両手に持ちきれないほどの花をもらった。もう疑いない。安倍先生から連絡が入ったので、植林センター関係者が総出で私を出迎えているのだ。そっとしておいて欲しいのだが。植林センターにはミシン教室があって、そこには8名の女性がミシンの練習をしていた、というより私がくるのを待っていた、らしい。ミシンの上に縫っているものは載ってなかったのだから。これは大変なことになった。私はひっそりと水やりの手伝いをして帰ろうと思って来たのだが、どうやらそういう訳にはいかないかもしれない。
ロクさんの家は植林センターから20分ほど登ったところにあった。ロクさん夫婦の寝る隣の部屋に通された。少し休んで、家の回りを散歩でもしようと部屋から出ると、休んでいた植林センターのスタッフ5人が出てきて案内してくれた。ロクさんの家の回りは20年前の植林発祥の地で、あちこちに大きくなった木が森を作っている。スタッフはそれを私に見せたいらしい。2時間ほどもかかって標高差300mくらいを上がったり下がったり。そこら中に安倍先生の森があった。
3月2日。今日は、マネガオンの植林センター(標高1,000m)を見て、植林をしている一番奥の村であるカウレ村(標高1,600m)に登る。そこには植林センターと建設中のグンバ(お寺)があるという。
ネパールの人の食事は1日に2回だけ。朝はお茶を飲むだけで、一仕事した後の午前10時か11時頃一回目の食事、2度目は夕方に食べる。ロクさんは私のために、お茶とゆで卵とビスケットを出してくれた。それを食べて7時に出発。ロクさんと、ランバブさん、ラメシュさんと私の4人。昨日と同じく荷物は持ってくれて私は地図だけもって歩く。トリスリ川の右岸を上って、サラク川の橋を渡って、マネガオンへの登り道に取り付く。斜面に細かく作られた棚田のあぜ道を登っていく感じだ。20分ほど登ると植林センターの建物があった。裏側にまわると苗畑がある。種を直播きし、芽が出たらポットに移して大きくする。雨期の始め、数センチになった苗を植えるのだ。マネガオンはタマン族の村だ。ミンクマリさんというおばあさんの家の畑でも苗を作っていた。亡くなったご主人と一緒に植林に協力してくれているという。お茶と豆と油で揚げたパンをいただいた。
更に登る。道々会う人はみんな植林センターの人と顔なじみで遠くからでも声が掛かるし、こちらも話しかける。何を話しているかさっぱりわからないので私はナマステ(ネパール後の挨拶)と言うだけ。少し登ると車の通れる道に出た。10年ほど前に出来たらしい。タンダパニ(標高1,300m)では目もくらむ急斜面に松の木を植林したという。ぼろぼろの60度くらいの急斜面に小さな松が植えてある。この斜面で水やり作業をするには、ロープを付けないと危ないのではないかと思うくらいだ。水が少ないので4年でも30センチほどにしか育ってない。カルカレ、ディガオンと通り過ぎて、やっとカウレ村。ロクさんの家から3時間。植林センターの前ではカタと呼ばれる布を持った村の人たちが30人ほども待ち構えていて、首に掛けてくれた。歓迎とか祝福の意を表すときの習わしだ。お礼に日本から持ってきたお菓子を一つずつ配る。隣に建設中のグンバがある。茶色と黄色と白のきれいな建物だ。軒の下に電灯を並べるらしく、ソケットの取り付け作業をしていた。出来上がって明かりがともったらさぞかしきれいだろう。
スタッフのチェトリさんとナムラジさんが居て食事を作る。ご飯にダル(豆)のスープ、タルカリ、食後にミルクティーの昼食。一休みしていよいよ水やり作業に出かける。
スタッフの面々は一人ずつ水桶を持っている。30mほどのホースも引いている。植林センターから水平な道を10分ほど行ったところが今日の水やりをするところだ。去年の7月に植えた松が大きい物で20センチほどになっている。100mほど上の家から水をもらうらしい。スタッフのデペンドラさんがホースを引いて登っていった。やがてホースの先から水が勢いよく噴き出す。15リットルほど入る水瓶に2分ほどで溜まる。溜まった水を苗木にかける。根本の土が流れないよう手を添える。動作に植えた木への愛情を感じる。水やりはスタッフだけでなく、村の人が沢山参加する。子供たちも小さなバケツを持って参加する。水が間に合わなくて行列が出来る。待っている間はおしゃべりタイム。村の長老たちも出てきてなにやら話に夢中になっている。みんな楽しそう。斜面は急で重い水瓶を持って歩くのは大変だ。植えて5年目くらいまでは、5日か6日に1度くらい水をやらないと乾期にかれてしまうのだそうだ。水をやらないと活着率は0.5%、水をやっているとほとんど90%。3時間ほどで水やりを終えて植林センターへ戻る。別の場所に水やりに行った女性たちも戻ってきた。手にカタをもっている。びっくりしている私の前に女性たちが並んで、カタを捧げて歌を歌い、私の首にかけてくれた。私はどうしていいかわからず、手を合わせてナマステを繰り返すだけ。あとで聞いたら「あなたは日本から来て植林を手伝ってくれた。ありがとう。健康でいてください」というようなことを歌っていたらしい。お茶をもらって飲んでいると、今度は村にあるグンバの本物のラマ(僧侶)が来てカタをかけてくれて何度も頭を下げた。本当に困ってしまう。
3月3日。6時起床。昨夜、寝る頃になって一雨あったせいか、空気が冷たい。顔をあらって、グンバの周辺を散歩。自動車道路を上っていくと、道ばたの家から女性が出てきた。植林に来ていた女性だ。道で顔を洗っている女性は。歌を歌ってくれた人だ。10数件の家が並び学校もある。このあたりがカウレ村の中心か。心配したスタッフのランバブさんが探しに来たので散歩は終了。戻ってお茶をもらって出発。出発の時、5,6人の人が集まって別れの歌を歌ってカタをかけてくれた。これで50枚にはなったか。
カウレ村から1時間ほど下ったところで、道を左にとってチャンパニという部落に向かう。着いたのはトリスリ川を挟んだ対岸の眺めがすばらしい斜面。道の脇から湧いている水を木の皮の樋でうけて水瓶に溜める。水が少ないのでここも時間待ちとなる。村のひとが10名以上参加。女性がほとんどだ。男は勉強して仕事にいって畑仕事、女は食事の準備と薪集めをするのだとは、スタッフのランバブさんの説明。2時間ほどで終わって、植林センターへ下る。着いたのは登りにも寄ったミンクマリばあさんの家。ここで1回目の食事。タマン族の人の家の床も壁も赤土を水で溶いたものを塗りつけてある。靴を脱いで2Fに上がって食事をとる。チキンの入ったダル(米のごはん)バート(おかず)。いつもネパールに来ると腹をこわすのだが今回はすこぶる快調。
午後は、マネガオンの学校の下で水やり。今は使わなくなった道のあったところだから、それほど急ではない。村の人も沢山いて1時間ほどで終了。持ってきたお菓子を配って、写真を撮った。
次は、ここから1時間ほど離れたポケガオンに行くという。自動車の道とあぜ道を交互に歩いて行く。この辺りはチェトリ族が多いか。水やりをする斜面は畑が作れない急な斜面で、5年たった木の間に去年の7月に追加で植えた小さな苗がある。だからある程度藪になっていて傾斜もあって大変だ。ここも村の人たちが10人ほど参加。お菓子は終わってしまったので写真だけ。
1時間かけてマネガオンに戻る。みんなも疲れ気味。泊まりは植林センターでなく、ミンクマリばあさんの家になるらしい。
17時帰着。ダルバートの食事。2回しか食べないからなかなかおいしい。食事が終わったら何もすることがないから寝るだけ。私の寝るところは、2Fの祭壇がある部屋だ。タマン族は仏教徒だから祭壇には観世音菩薩の写真が掲げてある。赤土の床にむしろを敷いてその上にカーペットを敷いて掛け布団を出してくれた。暖かいからシュラフカバーはなくてよさそう。ところが寝てみると痛くて寝られない。持ってきたマットを敷いたらよくなった。昨日は床に毛虫がいたが今日は何もいませんように。
3月4日。朝4時ころ、ミンクマリばあさんのお経の声で目が覚めた。30分ほどお経を上げてまた寝てしまった。6時に起床。起きるとすぐに便意をもよおして外のトイレに行く。ネパールの人は紙を使わない。水で濡らした手で拭くだけ。紙を使うと詰まるから流さないで焼くように、安倍先生から言われている。最初は大いに抵抗があったが4日目となると慣れてくるから恐ろしい。1晩お世話になったミンクマリおばあさんの家を後にして眼下のトリスリ川対岸の、ベトラワティの街に下る。ベトラワティの街には安倍先生が養女にしたドウゥルガ・マヤさんの兄弟が住んでいる。上のシタ姉さんは金具屋を、次の姉さんのナニメさんは食料品店をやっている。シタさんの息子インドラさんの案内で牛乳パックの森に登った。安倍先生の意志に共感した長野や佐久の人たちが、牛乳パックをリサイクルした資金で苗を買って植林したところが20年経った今では鬱蒼とした森になっている。急なコンクリートで作った道を上ったところに小屋があった。スタッフのチェトリさんがここに泊まり込んで世話をしているようだ。下って今度は「母の橋」を渡る。トリスリ川は水量が多く対岸の行き来は容易ではない。15年前に、安倍先生がリードしてここにつり橋をかけた。これが「母の橋」だ。この痛み具合を見てきて欲しいと言われている。橋はワイヤーがゆるんで少し傾いていた。いくつかボルトのゆるんでいた箇所があったが大事に至ることは無いように思う。でも一度専門家の診断を受けてゆるんだ所を直し傾きも直したほうが良いのではないかと思った。
橋を渡ったところでカトマンズに行く車が来て乗り込んだ。これで植林の手伝いが終わる。